人生の2つの目標
ローマ8:28-30
今日の本文をギリシャ語の聖書を見ますと主語が神様であることが分かります。しかし、韓国語聖書では主語が省略されています。実は8回も神様と言う単語が出てまいります。
28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」、ここで「万事が益となるように共に働くということ」をさせるのは神様です。しかし、その条件があります。「神を愛する者」であるとはっきりと語っています。つまり神を愛する者は具体的にどういう人でしょうか。
神様と常に関係を結んでいる人、全てにおいて優先順位は神様のみである者、神様に集中する人です。このような人が受ける祝福は万事が益となるように共に働くということでありましょう。そして、28節で「つまり」という接続詞は前の文脈を強調
しているのです。そして、「御計画に従って召された者たち」
と言うのは何を意味しているでしょうか。
これは人間の感情によるのではなく、変わらす神様の召しに
基盤を置くことであります。ルカ10:17節「七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」弟子たちの報告を聞いたイエス様のお返事は20節「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」、私たちの信仰の主体は神様のみです。神様が私たちの人生を導きます。
さて、28節のようになるためには生活の変化を経験しなければなりません。即ち、人生のすべてにおいて神の導きを信じることによって自分の生活の変化を経験することです。
対人関係において寂しく思う心の原因は「間違った期待心理」
子育てを行う時、現実的には子どもによる傷を受ける場面が
たくさん現れるのですが、しかし、それらのことで傷を受けた
親はいないと思います。なぜ、そのような現象が起こりはしないのです。なぜならば、期待をしないからです。
人間関係においても期待感により問題が出て来ます。
信仰者として自分の人生の目標が何であるか?