聖霊の助け
ローマ書8:26-27
2017年度の聖霊降臨節を迎えられました。今年も武庫川教会の全聖徒は聖霊に満たされた初代教会のことく、聖霊充満になって、日頃聖霊の導きを体験する聖徒になりませんか。
私たちは本当に弱い存在であります。強く見えてもとっても弱い者でありましょう。本文の26-27節をご覧下さい。
「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」、ここを見ますと人間の実存的な2つが見えます。(1)人間はだれでも弱い存在であります。(2)弱いものを助ける聖霊が必要である。パウロ自身も自分には病いがあって大変苦しい状況であると告白しています。コリント第二12:7-8節「また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。」ここに三度主に願ったことは、神様のお返事がないことを知りながらも求め続けたと言うことです。
しかし、そのように叫び求めたのですが、コリント第二12:9節を見ますと、「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
パウロはあまりにも辛いので、求めているのに「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」、ここで私たちも悟る必要がある箇所です。
聖霊は弱い私たちをいつも助けてお方です。聖霊の助けを信じて行く信仰者になって行こうではありませか。