主は私たちの保護者
詩篇91:1-16
詩編を書いた著者は神様が私たちの保護者であることを告白している内容であります。神様が私たちを保護して下さることを信じるのが信仰であります。そゆえに讃美と祈りが出来るのです。2節「主に申し上げよ「わたしの避けどころ、砦わたしの神、依り頼む方」と。」、ここでは主は「わたしの避けどころ」であると告白していることは自分が死の寸前で救われた経験があるからこのような告白が出来ると思います。
神様と人格的に歩み、主と人格的な出会いの経験がある人は
2節のような告白が出来るのです。神はあなたを救い出してくださる仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。」
2節で告白しているようにそのような信仰者には3節のように神様が約束してくださるのです。神様の御言葉を固く信じ、疑わない信仰を手にすることが出来ます。
普段は見えませんが、何かにより苦しみや試練、迫害が来れば、耐え忍ぶことが出来ず、倒れてしますような傾向がよくあります。しかし、神様は真実なお方です。ですから4節では「神は羽をもってあなたを覆い翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。」、神様は真実なお方ですから、必ず約束を成就されるのです。今はそれが見えないかも知れません。
しかし、神様の時がくれば必ず成就されます。
人生の中には危機も襲われる場合もあります。病に苦しむ時もあります。そのような状況であっても主に信頼し、主の約束を信じる信仰が必要であります。4節では神様は2つのことを持って保護して下さると約束しています。それが「大盾、小盾」で
あると言うことでしょう。神様の力には世のどんな強いものであっても攻撃することは不可能です。神様が保護してくださることの表現を4節では「神は羽をもってあなたを覆い翼の下にかばってくださる」と書かれています。そもそも神様の愛のことを言われています。親鳥は小鳥を自分の羽で覆い、風や太陽、雨の中から保護してくれるのです。しかし、全能の神様は私たちをこように保護し、守って下さる真実なお方です。
人間を愛するために主ご自身は自ら十字架を背負い、死なれたのです。十字架の贖いにより私たちの罪が赦されのです。