美しいし上がり
ルカ23:26-38
始まりも大変重要でありますが、しめくぐり、仕上げも大切であります。いくら始まりが素晴らしくても終わりが悪くなると良い評判が受けられないのです。イスラエルの初代王であるサウルは最初は神様から認められましたが後には神様の御心を行わないことで家庭が滅びてしまいました。
26節「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。」イエスは今裁判を受けて、一晩寝ずにそのままで十字架を背負い、あのゴルゴタ、即ち「されこうべ」と呼ばれている所まで行くのには無理であることを判断したローマ兵士は、巡礼者として田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせたのです。しかし、そのような状況の中で27節「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。」、その女性達に向かって、28節「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」、いよいよイエスは「されこうべ」と呼ばれている所に来るとそこで人々はイエスを十字架につけました。そして犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけたのです。
イエスは疲れ果て、何にも出来ない状況であります。そして
ローマ兵士たちは周りの群衆に向かって「〔イエスは言われた「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕、イエスの愛を感じる時間です。イエスはどれほど疲れているでしょうか。そうにも関わらず相手を赦して下