奉仕者の3つの類型
ヨハネ 6:5-12
奉仕者の3つの類型は、まず「計算的な奉仕者」、本日の聖書箇所から考えますとフィリポであります。5節「イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、」イエスの質問に対してフィリポの答えは7節「フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。」、10節を見ますと男だけで5千人であったと書かれています。そうしますと女の人や子どもも入れると一万人が超えるでしょう。そしてこの人たちのためにパンを買うのには「二百デナリオン」のお金が要ると言うことです。その当時の大人一人が7ヶ月の賃金であります。そのぐらい計算が早い人です。彼は合理的で冷静な人であることが分かります。しかし、計算は正確である人ですが解決の方法は見つかることが出来ない人でした。
このように計算的な人は奇跡の場面には用いることが出来ません。そもそもフィリポの計算は人間的な計算に過ぎません。
神のことは計算していない人でした。神様は干渉すると出来ないことはありません。イエス様は彼を試すために質問したと書かれています。6節「こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。」、すでに主は彼の心を知っておられたのです。
フィリポは奇跡の道具、神の栄光の道具には用いられなかったのです。次は「消極的な奉仕者」、このような人物は本文から見ますとやはり「アンデレ」でした。8-9節「弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」、
アンデレは疑う態度はありませんし、フィリポのように計算する人でも違いました。まだ、フィリポのように不可能であるとすぐさま判断する人でもありません。彼は協力に方法を見つけようと探し求めた人でした。それで見つかったのは子供が持っていたパン5つと魚二匹でした。少なくともアンデレは奇跡の場所や奇跡の道具には消極的には参加することが出来ました。
シモンを主のイエスの前に導くのもアンデレでした。