ピリピ人への手紙3:20
しかし、わたしたちの本国は天にあります。
主イエス・キリストの十字架によってこの世の死の谷間から復活した私たちは、イエス様によって救われ、永遠の命を得られた神の子であり、御国に希望を持つ尊い群れであります。また、クリスチャンとして、この世の中ではなく、天国、すなわち、御国へ希望を抱きこの世を生きる寄留者であります。信仰の父と呼ばれるアブラハムは、神様から召命を受けた時、アーメンと答え、迷いなく約束の地、カナンへ進み従った信仰の先人であります。彼は、一生を通して築き上げた富と名声を後にして神様の御声に従ったのです。これこそがイエス・キリストを主(あるじ)とし、御国を仰ぎながらこの世の中を生きていく私たちのあり方であり、私たちに委ねられた寄留者の道程であるのです。私たちのハラボジ・ハルモニ(お爺ちゃん・お婆ちゃん)達は、約一世紀前から様々な理由で朝鮮半島から日本へ渡ってきました。きっとアブラムの様に慣れ親しんでいた祖国を離れ、見知らぬ場所へ行くことは相当不安だったはずです。
しかし、不安ばかりでなく、神様の祝福を覚えて、イエス様の福音も一緒に運んできてくれました。あの苦しかった時代に、どんなに辛くても、どんなに切なくとも握りしめたイエス様の福音だけは、絶対に離しませんでした。神様から旅人としてこの世に送られ、さらに寄留者として生まれ故郷を離れ、日本で暮らしていた、そんな、ハラボジ・ハルモニ達は、今は、一人ずつ、一人ずつ、主に委ねられたこの世での旅を全うされ、帰るべき故郷へ召されています。
そしてアブラムに祝福を約束された神様は、同じく、ハラボジ・ハルモニ達を祝福し、アボジとオモニ(お父さんとお母さん)を、さらに、この場に集う私たち一人ひとりをイエス・キリストに生かされるこの世の寄留者として、祝福のもといとして送って下さったのです。神様が、約束の地カナンへ行きなさいと仰せられた時、少しの迷いもなく、その言葉に従ったアブラハムのように、私たちは、天国を仰ぎながら、神様がアブラハムにお与えになられた祝福を信じ、雄々しく委ねられたこの世での使命を全うし続けています。ですから、この地においてクリスチャンとして生かされる私たちは、神の子として、神様に選ばれた賜物であり、「祝福のもとい」であるといことを決して忘れてはいけません。私たちはこの世の価値基準や民族と文化、階級を乗り越えてキリスト・イエスの中で一つであり、神様に選ばれた聖なる群であります。私たちは、限られた時間を主に委ねられたこの世の中を生きていますが、神の国は永遠の場所であります。日本社会における数少ないクリスチャンとして、わたしたちは、様々なところを旅したアブラハムのように、様々な事情によってそれぞれの人生を生かされていますが、その道筋には、必ず神様のお導きがともにおられる事をしっかり覚えて、迷わず、信仰の道をしっかり進んで行きたいと思います。