元旦礼拝 新年の祝福
ヨシュア記1:1-9
2017年新年の初めの日です。新年、明けましておめでとうございます。日本では元旦と言う表現をします。今年は礼拝を通して祝福された年となりたいのです。
礼拝がある場所には神様のなさる大いなる御業があります。礼拝が自分にとって優先順位となることが祝福の通路となります。礼拝があるところに信仰の成長もあります。
礼拝があるところに霊的な力があります。礼拝があるところに
神様の祝福があります。 (1)御言葉の祝福です。
1節「主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。」ここで「言われた」、即ち、神様の言葉です。
新年は神様の御言葉の祝福がみちあふれますように願います。ヘブライ4:12-13節「というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けること
が出来るからです。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。」、(2)信仰の祝福です。
5節「あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない」、6-7節「強く、雄々しくあれ、強く、大いに雄々しくあって、9節「、強く雄々しくあれ」、神様はなぜ、ヨシュアに何度も同じ言葉を繰り返しているのでしょうか?これらの言葉から求められるのはやはり信仰でありましょう。
カルバンは「信徒とは貯水池の中の水を家まで引っ張て行く
パイフのようなものである」と言いました。信仰は願いを現実に与えるのです。信仰は成就の秘訣であります。
信仰は奇跡のための基礎であります。信仰がなければ神様を喜ばせることが出来ないのです。
8節「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」
(3)今年は全てが栄え、成功する年となりましょう。
それは家庭であっても、社会であっても、国であっても、個人であっても栄え、成功する年となるように願い求める年となりましょう。