第三週待降節(アドベント)
主イエスが来られた理由
ヨハネ3:16-21
主イエスは2,000年前に来られました。主は来られたことは自分の罪を悔い改めて、神の民のように正しく生き方を回復することであります。ヨハネ3:16節を小さい福音、あるいは福音書の中の福音であると言うことです。16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
ここで、(1)神は世を愛されたと言うことは救いの理由、
(2)その独り子をお与えになったほどには救いの方法、
(3)独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。と言うことは救いの目的、
16節の中には3つの真理が入っているから福音の中で福音であると言うことです。さて、ここで「永遠の命」と言うのは、ただ、長生きすることではなく、神様との関係の中で喜びを持って生きると言うことでありましょう。神様と断たれた関係が回復されることを永遠の命であると聖書は言われています。
ヨハネ1:1節、5節ご覧下さい。1節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」、5節「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」、ここに主イエスが来られた理由は書かれています。そして、1:6節「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。」
光を伝えるために遣わされた人がヨハネであると言うことです。光の実態が来られました。1:29節「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」、そして、主イエスは1:35節以下で弟子たちを呼びました。主イエスは人生の中で救って下さったのです。私たちが神様の関係の中に入るためには主と出会うことが必要であります。その出会いの場所、この地上で主に出会い場所として与えられたのが教会です。教会は神様に出合う場所です。ヨハネ2:13節以下には神殿聖潔を行います。神殿は神様に礼拝を場所なのに、そのような場所が商売する場所になっていたからです。主が来られた理由は神殿を清め、神様に礼拝する場所に回復させることです。主イエスは多くのしるしを現したのは、人々に救いを与え、悔い改めるように導くことでした。
主イエスは光として来られました。光が実態が現れても当時の人々は分かりませんでした。