第二週待降節(アドベント)
光で来られた主イエス
詩編80:1-7
2016年度の待降節(アドベント)も二週目を迎えられました。
各家庭の上に待降節(アドベント)の神様の祝福がありますように祈ります。詩編80編を書いた著者は4節に書かれてありますが、「光」とはイエス・キリストを指しています。主は光としてこの世に来られました。人類の歴史の中でこれほど驚くことはないでしょう。今日の本文では2,3,7節光を神の救いであると隠喩的な表現をしています。もう一つは3、7節で神の回復であります。暗闇の中にいる時は光の大切さを知っています。
ヨハネ8:12節「イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」この聖句は希望を与える御言葉でありましょう。
今日の本文の3節「エフライム、ベニヤミン、マナセの前に。目覚めて御力を振るい/わたしたちを救うために来てください。」、ここでは希望が溢れる、生きる意欲が出て来る聖句であります。光に照らされると人間らしく生きたい心が与えらるのです。暗闇の中にいる時には世のものしか目に留まらないのです。そう人に光が照らされると自分が今まで生きて来たことが気が付きます。
今までの自分がどれほど恥ずかしい人間で合ったのかが分かるようになります。待降節(アドベント)は初ての主に降臨の時の光を覚えて、これから再び再臨の主を待ち望む機関でもあります。しばらく照らされて、後には消えて行くような光ではありません。永遠に消えない光を待ち望むのが待降節(アドベント)でありましょう。主イエスが来られることにより暗闇の地は命が溢れる希望の地に変わって行くのです。
イザヤ30:26節「主が民の傷を包み重い打ち傷をいやされる日月の光は太陽の光になり太陽の光は七倍になり七つの日の光となる。」、待降節(アドベント)の主の光が臨まれる時に世の暗闇は消えて行くのです。これが待降節(アドベント)の神の恵みであります。