収穫感謝節 私たちの感謝は?
ルカ17:11-19
2016年度の収穫感謝節を迎えられました。ここまで導き、守って下さった神様に感謝をお捧げましょう。
17節で「そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。」 イエス様の質問の中には大変寂しい思いをしていることが感じられます。
9人はユダヤ人です。神様の選民として選ばれ、一番神様に愛されているにも関わらず、イエス様に来なかったのです。しかし、異邦人であるサマリア人だけがイエス様に来て、神に讃美を捧げたと18節に書かれています。18節「この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
そして、この異邦人は重い皮膚病だけではなく救われるようになります。19節「それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
今年は違う方面から感謝節の説教をさせていただきたいのです。その9人も感謝の心はあったと思いますが、表現をしてい
なかったのです。私たちは9人に属する信仰者でしょうか。
あるいは1人に属する信仰者でしょうか。
実は私たちは今まで神様の多くの恵みや愛をいただいております。感謝の心もあります。しかし、感謝の表現しないで信仰生活をしている場合があります。親子関係、夫婦関係も心で感謝を思うだけでは相手はわかりません。表現をすることが大切であります。私たちが行う態度を見て評価をするのです。
皆様を見ている人々がどのように評価をしているのかを思ったことがありましょう。なぜ、9人がイエス様に来て感謝をしなかったのでしょう。それは9人は問題のみ考えたからです。
問題だけを見る人は感謝の心があっても表現が出来ません。
多くの祝福をいただいても、多くの恵みをいただいても、問題が大きく見えるから感謝の表現が出来ません。
それは神様との関係だけではなく、人間関係も同じです。
私たちも大きな問題の前にいると感謝すべきlことがあるにも関わらず、親や友だちや友人に感謝の表現しない場合があります。私たちは神様によって救われたのです。私たちは神様の
形によって創造されたのです。いつも感謝すべき大きな理由があります。感謝が溢れる2016年になりましょう。