自分がすること、神さまがなさること
フィリピ4:6-9節
信仰生活において、分別の力は、何よりも大切です。
今日のメッセージは、自分がすべきものと、神さまがなすべきものをわきまえる分別についてです。例えば、勉強は学生がするものです。知恵は、神さまが与えるものです。
仕事は、私たちがするものです。仕事をうまく運ばせてくださるのは、神さまの働きです。しかし、問題は、本来、神さまがなすべきことを自分がやってしまう。反対に、自分がやるべきことを神さまに任していることです。フィリピ4:6節を見ますと、思い煩わず、感謝をもって祈るのは、私たちがやるべきものです。そうすれば、神さまがなさることがあります。
つまり、私たちの不安な心、複雑な思いに平安を与え、守って下さることです。しかし、多くの方が、反対のことをしてしまいます。思い煩いは、自分が徹底的にします。ところが、祈りは、牧師、信仰の先輩に任せっぱなしです。心が不安になった時、腹が立つ時、私たちがやるべきものは、主に感謝をもって願うことです。その後は、神さまの領域です。主がなすべきことです。それなのに、自分が、解決しようとすればするほど、問題が、複雑になって行くばかりです。もう一度、フィリピ4:6、7節を呼んで見ましょう。「どんなことでも、思い煩うのは、やめなさい。
何事につけ、感謝を込めて、祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」最後に、パウロ牧師が、フィリピ教会の信徒に願い求めます。信仰生活において、私たちが、必ずやるべきことを教えています。4:8節「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、徳や賞賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」
9節、「パウロから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神さまは、あなた方と共におられます。」言葉を終えます。
自分がすることと、神さまがなさることを混同せず、わきまえつつ歩んで行きましょう。