ヨハネ3:16 十字架と救い
本日は四旬節第四週です。
私たちは今、イエス様の苦難を黙想する四旬節の期間を過ごしています。キリスト教において最も重要なものがあるとすれば、
それはイエス様の十字架です。
イエス様が私たちを救うために十字架を背負われ、その十字架によって私たちが救いを得たということです。
キリスト教の福音を一言で定義するなら、それは「十字架と救い」となるでしょう。言い換えれば、誰であれ、どんな罪を犯した者であっても関係なく、十字架に現れた神の愛を信じ、自分の罪を悔い改めれば滅びることなく、皆救いを得るということが、私たちキリスト教の核心です。神は私たちを愛しておられます。神は私と
皆さんを愛しておられます。それゆえ私たちを尊くお考えになります。私たちを救うために、神は惜しむところはありません。
神は私たちを救うために、ご自身の命を十字架に釘付けになられました。第一に、欲望がなくなります。
これは救いの確信を持って生きる人に現れる最も重要な現象と言えます。神の国を所有した人、天国への希望と確信を持って生きる人々は、この世に対して欲望を持ちません。持つことができません。より良いものを持っている人は、それより劣るものに対して欲望を抱きません。 欲望を捨てられることは本当に素晴らしいことです。個人と世の中のあらゆる問題は、まさにこの欲望から始まるからです。ヤコブの手紙1章15節には「そして、欲望は
はらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」とあります。
欲望が宿ると、罪を産み、罪が成長すると、死を産むとあるように、これほど重要な言葉はありません。個人と世界のすべての死は、その原因が罪にあり、すべての罪の原因は欲望にあります。
欲望がなければ、罪もなく、罪がなければ死も存在し得ません。
愛する聖徒の皆様、欲望は私たち人間を卑屈にします。
欲望は人を残酷にします。強い者が欲望を持つと残酷になります。弱い者を攻撃し、持たざる者のものを搾取します。強く持っている者の前ではおべっかを使い、背後では悪口を言います。
欲望は人を醜くします。欲のない心は人を堂々とさせます。
十字架と救いの信仰を持って歩みましょう。
毎日、十字架を黙想してまいりましょう。