主イエスの名のためならば
使徒21:1-16
1-3節「わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、
フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。
やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。」
ここでティルスの地名は出て来ますが、イエス様もここで福音を宣べつたえました。マタイ11:21節「「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。」、その場所にパウロが行きました。4節「わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。」、パウロはそこに着くと当時に弟子たち探したと書いています。即ち、キリスト者を探したと言うことです。
そして、7日間泊まったと言うことです。聖霊が降り、エルサレムに戻ると危険であるから行かないようとパウロに繰り返し語ったと言うことです。5-6節「しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。」
パウロと別れの場面であります。滞在時間は短いでしたが、
聖霊の働きがある交わり、キリストの中である交わりはこのようなことを経験することが出来ます。7-8節「わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。」、パウロはどこに行っても人々を会い、福音を宣べ伝えることでした。エルサレムには行かずに、
サマリアに行ったのです。聖霊の御声を聞いて働くとこのような出来ことが起きるのです。ピリピは聖霊の導きに従って、荒野に導かれた時、「エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官」に出合い福音を宣べ伝えのです。主イエスの名のためならば、どこにも行く信仰者にりましょう。