2025年12月7日 ルカ2:11-15

武庫川教会 0 6

待降節第二週  ルカ2:11-15

         イエスの来臨

毎年12月になると、店のあちこちにクリスマスカードが所狭しと並び、キャロルの歌が道を歩く人の足取りを一層軽やかにします。デパートごとに華やかなクリスマス装飾とともにバーゲンセールが始まることもあります。クリスマスは人々の心を興奮させるのに十分な生命の祭りです。この時、世俗的な人々はクリスマスを利用して金を稼ぎ、クリスマスを利用して快楽を満たすために、人間の祭りとしてのクリスマスへと堕落させてしまいます。

しかし真のクリスマスは罪人のための祭りです。まさにこれがイエス様がこの地に来られた目的だからです。クリスマスはキリストと祝祭の合成語です。これはすなわち、イエス様が世に来られたことを祝う祝祭の日であることを意味します。

したがってクリスマスは世界的な祝祭日となりました。平和の祝祭であり、祝福の祝祭であり、愛の祝祭であり、感謝の祝祭であり、喜びの祝祭であり、救いの祝祭であり、命の祝祭です。 

今年も変わらずクリスマスが近づいています。

私たちはこのクリスマスを意味あるものとして迎えなければなりません。命であるイエス様が私のような罪人を救うために来られたクリスマスでなければなりません。年末と重なって騒がしいクリスマスではなく、神の救いを見ることができるクリスマスでなければなりません。今日も本文を中心に「イエス様の来臨は」という題で神の御言葉を受ける時、クリスマスの本来の意味を悟る祝福がありますようにと願います。罪人を救うためです。本文11節に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。

 

イエス様は私たちの救い主です。この事実はマタイによる福音書121節でも明らかにされています。「あなたは男の子を産む。その名をイエスとつけなさい。この方は、ご自分の民をその罪から救う方だからです」。

 

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