フィラデルフィアにある教会
黙示録3:7-13
8節を見てみましょう。「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。」
「力が弱かった」という言葉の意味はなんでしょうか。
地震が頻繁に起こるため、人々は他の場所へ移住するようになります。その結果、教会も信徒が減っていくため、小さな力しか持てなくなります。したがって、財政面でも小さくなるため、聖書では「力が弱かったと表現しています。
これは、非常に脆弱な環境にある教会という意味です。
地震によって非常に脆弱になった教会です。まさにフィラデルフィア教会がそのような教会でした。そのような環境にある教会でしたが、イエス・キリストの信仰を守った教会です。
そして、自らユダヤ人だと称しながら外部から教会を迫害するそのようなことを力強く打ち破り、堅く立っていた教会、主から非難を受けなかったフィラデルフィア教会です。
そのように語られる方は誰でしょうか。その方を紹介します。
7節を見てください。 「フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。』
その方は聖く真実な方です。つまり、神のみに用いられる言葉です。そして、その方は「ダビデの鍵を持つ方」と紹介されています。ここで「鍵」とは、昔、田舎の倉庫や家のすべての
鍵を姑が持ち、家事を管理し、やがて嫁にその鍵を譲り渡す習慣を指します。したがって、ここでの「ダビデの鍵」は象徴的なものですが、権威を意味しています。
このように、私たちの主は旧約の言葉を引用して、「私はダビデの鍵を持つ者である」と自己紹介されています。
したがって、旧約のエリヤキムは、新約に現れるイエス・キリストの予表です。「天と地のすべての権威を私に与えられた」と仰せになります。つまり、すべての権威を持つ方として自己紹介されています。弱い力を持つ私たちも主の力によって勝利することが出来る信仰者になりましょう。