2025年6月15日 使徒言行録2:37-42

武庫川教会 0 306

 

聖霊に生かされる教会

使徒言行録2:37-42

 

ペンテコステの日、聖霊が下り、弟子たちがそれぞれの言語で神の偉大な業を語り始めた時、ペトロは立ち上がり、大胆にイエス・キリストの十字架と復活を宣べ伝えました。そのメッセージを聞いた人々は「大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』」(37節)と言いました。「心を打たれた」とは、聖霊の働きによって、自分の罪に気づかされた状態です。自分たちが十字架につけたイエスこそが神のメシアであったと知った時、彼らの心は痛み、震え、「わたしたちはどうしたらよいのですか」と問いかけたのです。

この問いは、人間の努力では生まれることのないものです。聖霊が人の心に働く時、ただの知識としてイエス・キリストを知るのではなく、自分たちも「応答したい」という内なる働きによって生まれるのです。人々の問いに対してペトロは、悔い改め、洗礼、赦し、そして聖霊の賜物が神の救いの道であることを教えています。そしてその日、およそ三千人が仲間に加わったと記されています(41節)。これは数の多さではなく、神の力の大きさを物語っています。三千人が加えられた教会は、「使徒の教え、相互の交わり、パンを割くこと、祈ることに熱心」(41節)でした。この一節に教会の本質が凝縮されています。これらの本質は、個人主義が進む社会の中で信仰の実を結ぶために必要不可欠な事柄です。なぜなら、教会はただ「礼拝する場所」ではなく、「共に生きる群れ」だからです。

聖霊に満たされ、生かされて歩む初代教会の姿は、単なる理想的な教会ではなく、現代を生きる私たちへの呼びかけです。私たちの教会はどうか、私たちの交わりは、祈りに、御言葉に、愛に生かされているのか、このことを常に思い起こさなければならないのです。私たちも聖霊に生かされる教会として、日々新たにされていきたいと願います。


 

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