喜ぶ信仰
フィリピ4:4
今日の本文を見ます。4節「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」。この御言葉から、どれほど強調しているのかについて感じることができるでしょう。
喜ぶことが神様から私たちに命じられることなのですね。
では、私たちはどうすればいいのでしょうか?喜ぶまで待たなければならないのでしょうか?
もしそうなら、聖書が私たちにこのように言われたわけではありません。聖書に伝道しなさい、喜びなさい、祈りなさいなど、すべてのことには私たちの決心が必要です。
そしてその道に力を尽くさなければなりません。
聖徒の皆さん、
私たちの問題は、喜びが来るのを待っています。私たちは自分が喜ぶのを待っています。私たちは最近、喜ぶことがありません。 事件も多く、台風や災害の被害も多く、だから何の喜ぶことがあるのでしょうか?コロナ禍での現実はイライラして大変で、実は喜ぶことがありません。
ところが聖書では、神様はそのような状況の中で喜ぶように命じています。自然に喜ばれるのを待つのは神様の御心ではありません。聖書で喜べと言われたのは、できる、できないの問題ではありません。私たちは、教会に来たらやることもたくさんあるのに、喜ぶことまでしなければならないのか?喜ぶことも自分の思い通りにできず、神様の命令でやらなければならないのか?ああ、めんどくさい、と言ってはいけないでしょう。
聖書でいつも喜べと言われるのは、私たちの人生全体が救われた証拠です。これは神様の恵みです。これを負担に感じるのは問題です。いつも私たちの心の中に喜びの絵を描き、聖霊様にお願いする祈りをしなければなりません。
私の心の中にいつも喜びが満たされるように助けてくださいと毎日祈らなければなりません。私たちの中に不幸だという考えや、ネガティブな考えがイエス・キリストの血の功績で洗い流され、浄化される祝福が訪れますように神様が私たちに約束された喜びが満たされるようにと祈りましょう。