2025年5月4日 フィリピ3:10-16

武庫川教会 0 4

パウロの告白

フィリピ3:10-16

 

聖書には、霊的に未熟な人を子どもに例え、霊的に成熟した人を大人だという表現があります。ヘブライ512節を見ます。

 

「実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、 再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです」。

 

霊的に幼児期に留まっている成人は、母親の乳を飲む人ということです。霊的な大人になると、固い食べ物を食べて消化できる人になる。今日の本文フィリピ315節を見ます。

 

「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」。

 

ここで霊的な聖徒、つまり成人した聖徒がどうすべきかをパウロが伝えています。つまり、成人した聖徒たちに伝える本文です。

 

ここで完全にという言葉を使いながら、成人した聖徒はこのようにしなければならなと言います。パウロは今、フィリピ教会の聖徒たちに大人として成熟した聖徒として成長することを願ってこの手紙を書いたのです。

 

フィリピ教会の中に分裂が生じ、聖徒たちが教理的な問題で混乱している状態です。教会の中に間違った福音、すなわち異端が入ってきて、聖徒たちが混乱していた時期です。

 

異端や他の福音の人々が話をすると、聖徒たちはむしろ信頼するようになります。なぜこのような間違った教理を持つ人々を信頼し、異端を信頼するその理由は、彼らは彼らを信頼できる経歴があるからです。信頼できる経歴がしっかりしている。正統的な教会に対応できる資料がたくさんある。このような状況の中にいるピリピ教会の聖徒たちに、31-9節から肉体を信頼できるもの、自分が持っていたもの、パウロは世俗的なものを排泄物とみなしたと38節で告白します。実際、パウロが語ったものは、誰もが持ちたいと思うものです。

 

1011節「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。 

 

パウロが告白しているように復活の信仰と十字架の信仰を手に行く信仰者になりましょう。


 

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