2025年4月27日 フィリピ3:4-9

武庫川教会 0 1

ただ、信仰

フィリピ3:4-9


 

今日の本文がパウロにえる訓とはなんでしょうか?

 

るぎない信仰になるための方法です。その揺るぎない信仰とは「しかし」の信仰です。

 

4-7節を見ますと、「とはいえ」や「しかし」と記されています4節は、「とはいえ」から始まり、今、ユダヤの律法主義者にして、パウロ自身も彼らと同じように律法主義者であったことを調しています。7節には「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです」とあります。再び記されている「しかし」。私たちにも「しかし」がありますか?パウロとユダヤの律法主義者との違いは、まさに「しかし」です。前の節の「しかし」とは違ってわったということです。ヘブライ人への手紙1124 -26節を見ます。

 

「信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました。与えられる報いに目を向けていたからです。」

 

のためにモセのわったことを調しています。王室でうまく生きるより、苦難があっても神の御心にって自分の同族と苦しみと痛みを共にする者になるというわったのです。

 

私たちがよく知っているザアカイについて、ルカ192節を見ます。「そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」。ここに記された徴税人の頭、金持ちという2つの言葉はザアカイをよく表している言葉です。

 

人に罵られてもいい、お金さえ多ければいいという時代ではないでしょうか?同族に罵られても、ロマ政府と結託して、妥協してお金さえたくさん稼げばいいというこの時代ではないでしょうか? まさにザアカイがそのようなを持って今まで生きてきたのではないだろうか?しかし、イエスに出会ってザアカイの価値観が変わります(8)。これは非常に驚くべき価値観の変化です。

 

私たちもこのような変化、「しかし」の信仰がありますか?このように変化した価値観を持っているのでしょうか?


 

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