2025年4月13日 イザヤ書53:4-6

武庫川教会 0 238

苦難週間・棕梠主日 

苦難を受けられるメシヤ

イザヤ書53:4-6

 

 

今日は2,000年前、イエス様が十字架を背負うためにエルサレム城に入城された日です。教会では今週を苦難週間と呼ばれます。王であるその方は、とてもみすぼらしいろばに乗って、入城されました。4福音書でエルサレム入城に関する聖書は、マタイ211-11節、マルコ111-11節、ルカ1928-38節、ヨハネ1212-19節に記されています。 ヨハネ1212-19節に記録されています。1-3節がこの苦難を受けるしもべのみすぼらしい姿を描写したとしたら、本節から5節までは、主の御使いの苦難の意義について説明しています。

 

主のしもべの贖いのための自己卑下の事実(23)、これがまさに明らかにされています。特に本章では、主のしもべのすべての苦難が「代償的」であることを12回も繰り返して具体的に強調しています。このようなイエスの代償的苦難は、新約聖書でも非常に強調されています。神学者たちはイザヤ書40章~66章を旧約聖書の中の新約聖書と呼びます。理由は、将来、イエス・キリストが贖い主として来られて人間を救われる出来事を予言しているからです。イザヤ書53章はその中の一章で、メシアであるイエス様がこの世に来られて受ける苦難と勝利を予言しています。

 

この預言通り、イエス様はこの世に来られ、あらゆる軽蔑と侮辱、屈辱と苦しみを経験され、最終的には十字架に架かって死なれました。私たちは本文を通して主の苦難を見なければなりません。

 

45節を見ますと、「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。

 

 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」とあります。

 

4節の最後の部分であるこのような誤解は、罪人のためのイエスの代償的な苦難を悟らなかったために生じたものです。これは、ヨブが試練を受ける時、彼の三人の友人が龍の苦難の原因が罪にあると攻撃したのと同じ脈絡です。


 

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