主において喜びなさい
フィリピ3:1-3
本文2節の教訓です。邪悪な行為をする人を指します。
ユダヤ人は自分を無視する異邦人を犬と呼んだ。どれほどひどい悪口でしょうか?当時、ユダヤ教会堂には犬も入らず、異邦人も入れないと入り口に書いてあったそうです。
韓国語聖書の翻訳はとても上品に翻訳しました。韓国語で慎めという言葉より、英語は気をつけろという言葉です。私たちがイエス様を信じて救われてから一番最初に変わるのは言語である。悪口を捨てるようになる。まだこの場にいる方の中で、悪口を言う方は、まだ救いを得ていない方なのかもしれません。
言語が循環するようになったことが、救われた者、生まれ変わった者の証拠です。
パウロはとても酷いと言えるほどこのような表現を使うのでしょうか。さらに8節を見ると、ものすごくひどい言葉を使っています。
パウロはなぜこのようなひどい言葉をピリピ教会の聖徒たちに手紙で送ったのでしょうか?パウロは今、自分を明らかにするためにこのような言葉を使ったのでしょうか?
パウロがこのように強い言葉を使う理由は、私たちの安全のためです。1節を見ます。あなたがたの安全のためですとあります。
今、パウロは静かに紳士的に話すのではなく、とても強い口調で言っています。それはまさに私たちの安全のためであるそうです。
聖書には犬に関する聖書の言葉を紹介します。
そのためには、主の中で喜びなさいと勧めているのです。
私たちにとって主の中でという言葉は非常に重要であります。
2章19節で、2章24節で、2章29節で、このように主の中でという言葉を挿入しなくても十分意味があります。
十分に意味がありますが、パウロは今、主の中でという言葉を意図的に使っています。私たちがする奉仕や献身、すべてのことが主の中で行われなければなりません。
主の中で行われないことはすべて安全ではないとパウロは言うのです。工事現場や高い山や危険な場所にはいつもロープがある。それ以上に入ると危険であることを示しているのです。
信仰生活の線はまさに主の中です。主のうちにということを外れると危険であります。私たちも主の中で喜び、主の中で受け入れる信仰にならなければなりません。