ティラノでの福音宣教
使徒19:8-20
8-9節「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。
しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。」
先週7節を見ると「この人たちは、皆で十二人ほどであった。」と書かれています。パウロは三ヶ月間滞在しながら福音を伝えたのです。しかし、そのような状況っであっても、心がかたくなで信じようとしない人がいました。光が来ると闇は現れることと同じように聖霊が来られると悪は表面かされるのです。パウロはそれ以上に滞在せず、場所を離れるようになりました。福音を受け入れようとしない人々にそれ以上に伝える必要がないと思ったでしょうか。
あるいは聖霊の導きがあったんでしょうか。
そして、「ティラノ」というところで毎日福音を論じたと書かれています。ティラノと言う場所はエフェソにある学問を論じ合うばしょでした。実は「ティラノ」と言葉は人の名前で、その当時周りの人々から尊敬される人でした。
その人の名前を使って書院と呼ばれたということです。
9節の最後のところを見ますと彼らは毎日論じたと書いて
あります。10節「このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。」2年も続けて聖書の学びが行われたことは大変熱心であつたと思います。
11-12節「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。」さて、ティラノで聖書を学ぶ時に驚くべき神様の御業が現れました。聖書には時間は書いておりませんが、学者によれば、朝10時から午後4時ぐらいまで論じたということです。13-16節に書かれている内容はパウロの経験の話です。即ち、証しでありましょう。
私たちも福音の証し人となりましょう。主の証人になることです。聖書を毎日論じ合う教会となりましょう。