信じれば聖霊を受ける
使徒19:1-7
パウロの第三伝道旅行はアンテオキアから始まります。第一も第二もアンテオキアから始まりました。アンテオキアの人々を
霊的な再充電され、パウロ自身もここに来て、肉体的、霊的再充電する場所でした。現代の私たちにもこのような場所が必要であります。1-2節「アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。」、ここで大切な言葉は「聖霊を受けましたか」、「信仰に入ったとき」、と言う二つの言葉に注目しましょう。 即ち、聖霊は主イエスを信じる者に与えられることでありましょう。ここで「聖霊を受けましたか」と言う言葉には2つの意味があります。主イエスを信じる瞬間聖霊の体験しましたか?、もう一つは「主イエスを信じ、信仰に入って聖霊の体験をしましたか?」、例えば、使徒10章に書かれていますが、カイサリアにコルネリウスは信仰に入り前に体験をする内容が書かれています。さて、イエスの12弟子はどうでしょうか? 彼らは主イエスと3年間共に生活して来ましたが、その時には聖霊を受けませんでした。主イエスが天に上げられた後
、あの五旬節の時に聖霊の体験をするのです。
聖霊がなければ、喜びも平安も感謝もありません。聖霊がなければ、悔い改めもできません。聖霊を受けないと外に出る勇気もありません。ヨハネ1:12節「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」ここで救われたと言うことはまず、①身分が変わりました。
②自分の位置が変わったこと。③本質の変化、④法的な位置が変わったこと。であります。2節「彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。」
聖霊のことを聞いたことがないと語っています。3-5節「パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。」