アテネでのパウロの宣教(2)
使徒17:26-34
24-25節をもう一度ご覧ください。「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」
神様は天地万物をお造りになられたお方です。そして神様は天地の主であられ、人間に命と息を与えられるお方です。
皆様はそのお方を本当に信じているでしょうか。そのお方を本当に知っておられますか。教会は熱心に来るし、奉仕もしますが、神様をよく知らない信者がいます。さて、26節を見ますと
「 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。」親が子供を産んで、そのままほっとかないように、神様はご自分が選んだ民を放棄しないで守ってくださるお方であることをここで言われています。人間の歴史や時間の中でおられる神様です。もちろん、人間と本質は違いますが、人間と共におられるお方です。神様はなくては人間もないし、人間がないところに神様も存在しないと言うことです。
人間は神様を認めず哲学や思想だけでは幸せに暮らすことが出来ません。27節「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。神様はいつも人間の近くにおられると言うことです。その御方は時間と空間を超越して存在しておられるお方です。その神様は私たちの讃美を期待しています。いつも交わりたいと願っておられるお方です。
神様はいつも私たちの心も知っておられるお方です。
28-29節「皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」、この世のすべでは神様の創造により出来たものであることです。私たちが神様から造られたものであれば、偶然なものでもないし、捨てられた存在でもありません。人間は動物と違い、神様に栄光を帰するように造られた。