アテネでのパウロの宣教(1)
使徒17:16-25
16-17節「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。 それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。」
ここで福音は場所も条件も制限されないことを教えています。そして、文化や芸術が発達されているところには偶像が多くあります。先進国と言われて国を見ますと、多くの偶像が見えます。パウロが訪れてアテネもその一つの場所です。
18節「また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。」
その当時のアテネ人は哲学的な面がある人でした。
その当時に「エピクロス派やストア派」があり、その当時のアテネを支配するほどの力のある人々でした。
まず、「エピクロス派」は無神論主義でした。そして、「ストア派」
は汎神論主義でした。彼らとパウロは福音について論争したのです。彼らは十字架と復活を信じない人々でした。
19-21節「そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」 すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。」彼らは新しい神があるかと思い、期待をしながらパウロの
話しを聞きました。人間の心理は新しい物、流行する物に目を留めます。そのような説明を22-31節までありますが、まず、25節に注目しましょう。25節「また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」、22節「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」、18節とは違う態度を見せるパウロです。
アテネの人々はパウロの話を聞いたと思います。