主を信じなさい
使徒16:19-40
19節「ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。」ここで教えられることは教会が存在する目的を教えています。教会は手段や方法を通して成長されるものではないことです。20節「そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。」、その女の主人は政治的な意図やパウロとシラスを罪のない人を罪を被せる意図があったに違いありません。21節「ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」その人はパウロとシラスは風習を知らないと言う理由で牢屋に入れてしまいます。22-23節「群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。」
パウロとシラスは本当に大変な状況に置かれていることがこの聖句を見ればよく分かります。何でパウロとシラスはこのような迫害を受けているでしょうか。それは言うまでもなく、福音のためでした。韓国も日本も多くの宣教師たちがこのように迫害を受けて殉教されました。25節「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」いよいよ神様が彼らを助けて下さるのです。しかし、パウロとシラスはそのような状況の中であっても神様に讃美を捧げたと書かれています。その讃美と祈りをほかの囚人たちが聞いたと聖書は言われています。
これを教会では福音の力であると言います。聖霊の助け、そもそもそのような経験をされた信仰者は意味を分かりますが、経験の人はおそらくこの聖句は理解出来ないでしょう。
苦難や迫害の中であっても讃美や祈りが出来る信仰者になりませんか。さて、神様の力は何と素晴らしいでしょうか。
26節「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。」
奇跡が起こりました。実はパウロはこのような経験を何度もしたことがあります。27節「 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。」、牢屋の囚人たちは驚いたと思います。このようなことがあり得ない場面であったからです。