親孝行の意義
母の主日、野外礼拝 申5:16
2016年度の野外礼拝、母の主日を迎えれました。
本日の聖書箇所から親孝行の意義を考えてまいりましょう。
1.親孝行は人間として行うべきものです。
エフェソ6:1節「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。」、親孝行と言うのは義務的なことになってはなりません。親孝行と言うのは教育を受けて
行なうこともありますが、文字を知らない国の人々も親に対する礼儀はあります。親孝行は人間が持つ本姓的な道徳規則でありましょう。親孝行は神様が人間に与えた本能の中で一つであります。神様を信じる信者には創造的な世界観をもっています。創世記1:28節「 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」、家庭が繁栄し、栄える時に社会も
繁栄され、人類も繁栄されるのです。
2.親孝行は社会倫理、道徳の根源であります。
出20:1-2節「神はこれらすべての言葉を告げられた。 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」、そしてレビ記19:3節「父と母とを敬いなさい。わたしの安息日を守りなさい。わたしはあなたたちの神、主である。」、二か所聖書を見ますと親孝行を行なわない人は
イエスラエル共同体から外されると言うことであります。
そのように厳しく神様は求めておられるのです。
申21:18-21節「ある人にわがままで、反抗する息子があり、父の言うことも母の言うことも聞かず、戒めても聞き従わないならば、両親は彼を取り押さえ、その地域の城門にいる町の長老のもとに突き出して、町の長老に、「わたしたちのこの息子はわがままで、反抗し、わたしたちの言うことを聞きません。放蕩にふけり、大酒飲みです」と言いなさい。町の住民は皆で石を投げつけて彼を殺す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。全イスラエルはこのことを聞いて、恐れを抱くであろう。」、子どもと親の出会いが社会の出会いの始まりであります。3.親孝行は信仰の訓練の近道であります。
親孝行は神様に対する忠誠の訓練であります。信仰は神様が主イエス・キリストの中で与えられたすべての恵みに対して人間の全人格的な応答であります。