正しい裁きを行う神様
詩編58:2-12(韓1-11)
2-3節「しかし、お前たちは正しく語り公平な裁きを
行っているというのが人の子らよ。
いや、お前たちはこの地で不正に満ちた心をもってふるまいお前たちの手は不法を量り売りしている。]
ダビデは生まれながらも悪い人はいることが気がつきました。そして悪いことを考える人もいることを気がつきました。4節「神に逆らう者は母の胎にあるときから汚らわしく欺いて語る者は母の腹にあるときから迷いに陥っている。」母の胎にあるときから悪いひとがいることです。
このような人の特徴は神様を信じないことであります。
そして、神様の裁きも信じません。
詩編58編の特徴は7-11節「神が彼らの口から歯を抜き去ってくださるように。主が獅子の牙を折ってくださるように。彼らは水のように捨てられ、流れ去るがよい。
神の矢に射られて衰え果てなめくじのように溶け太陽を
仰ぐことのない流産の子となるがよい。
鍋が柴の炎に焼けるよりも速く生きながら、怒りの炎に巻き込まれるがよい。神に従う人はこの報復を見て喜び神に逆らう者の血で足を洗うであろう。」
つまり、神様が生きておられることを見せてくださいと
ダビデの告白であります。しかし、悪いは人はこのような
嘲ります。ですから悔い改めをしらないのであります。
神様が存在しないと思いますから悪いことが悪いことであることを知らないままで生きるのであります。
神様がおられることを信じているでしょうか?
時代は悪いですが、変わらず私たちは神様を信じているのです。神様を信じる人はダビデのように敵さえも許すことが出来ます。12節「人は言う。「神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる。」
ダビデもこのように告白する時は神様が本当におられるか?と言う時があったと言うことです。
つまり、ダビデの心が揺れ動く時に祈ったのであります、
信仰はありますが生ぬるい信仰ではないか?
本当の信仰はどんな時にも神様が共におられることを信じることが出来ます。