私を憐れんで下さい
詩編56編 : 1-7
本文4-5節「恐れをいだくときわたしはあなたに
依り頼みます。神の御言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。肉にすぎない者がわたしに何をなしえましょう。」この告白の背景はどういうことですか?
それを悟りますとダビデの告白は偉大であることが分かります。ダビデはサウロ王の迫害を見逃すために敵の国
ペリシテ国まで逃げるようになります。
今の心境はどうでしょうか? いかに恐れ、心配や苦しみ
の中でいるのですか?そのような状況でも神様により頼む
信仰、主を信頼すると告白しています。
2-3節「神よ、わたしを憐れんでください。わたしは人に踏みにじられています。戦いを挑む者が絶えることなくわたしを虐げ、陥れようとする者が絶えることなくわたしを踏みにじります。高くいます方よ多くの者がわたしに戦いを挑みます。しかし、そのような状況の中でもダビデは
12節「神よ、あなたに誓ったとおり感謝の献げ物をささげます。」、さて、私たちはダビデのように神様を信頼し、神様により頼むことが出来るのですか?
本当に主を信頼して行くならば、心配や恐れは来ないと
思います。信じることと信じるようになることは全然意味が違います。しかし、ダビデも人間であることは9節で
明らかにしています。9節「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。」ダビデも私たちと同様であることがこの箇所から
見ることが出来ます。ゴリアトを石5つで倒したダビデでも嘆いたこともあるということであります。
しかし、ダビデも生まれる時から信仰が強い人ではなかったのです。12節「神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。」
神様が私を守って下さる信仰があれば、問題がないはずなのに、現実はどうでしょうか?
私たちが神様を信じるといいながら、信じていない信仰は
どういう信仰でしょうか?本当に神様を信じているならば、全てを信頼していくべきです。