私を救って下さい。
詩編54:1-7(日3-9)
1-3節「神よ、御名によってわたしを救い/力強い御業によって、わたしを裁いてください。神よ、わたしの祈りを聞きこの口にのぼる願いに耳を傾けてください。異邦の者がわたしに逆らって立ち/暴虐な者がわたしの命をねらっています。彼らは自分の前に神を置こうとしないのです。」ダビデの信仰がよく表現されている場面であります。
ダビデは今どんな問題でしょうか?
なせ、救って下さいと祈っているでしょうか? 4-5節「見よ、神はわたしを助けてくださる。主はわたしの魂を支えてくださる。わたしを陥れようとする者に災いを報い/あなたのまことに従って/彼らを絶やしてください。」先ほどの1-3節と比較しますと雰囲気が
変わっています。神様は弱い私たちを助けて下さるお方であります。神様は私たちの敵さえも絶やしてくださるお方であります。このようなことを信仰であると聖書は言われています。信仰はどんな状況に置かれても恐れず、大胆に進めていくことが進行でありましょう。神様は今もなお生きておられるお方であります。しかし、信仰者である私たちは理論的にその事実を知っています。日常生活の中で行くとそうではなく、問題が来ると逃げようとするし、あきらめることもあるでしょう。あるいは不満・不平を言ってしまいます。さて、信仰は不安の状況でも平安を与えてくれるのでヨハネ14:1節「「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」、 ヨハネ14:27節「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が
与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。6節「あなたは主、万軍の神、イスラエルの神。目を覚まし、国々を罰してください。悪を行う者、欺く者を容赦しないでください。」、さて、ダビデは人々から裏切られて、そしてサウロ王はダビデを殺そうとしています。
ダビデは身も隠すことも出来ない状況に置かれています。そのような厳しい状況でも神様に捧げものを捧げることが出来るダビデの信仰であります。