四旬節第四週 十字架の死
マルコ書 15:33-41
マルコ15:16-20節「兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んで
かぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた、また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、
ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱した
あげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。」
なおかつ思い十字架を背負わせられたのであります。
20-21節「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
そして、イエスをゴルゴタという所、その意味は「されこうべの場所」、に連れて行った。」
私たちが背負うべき十字架を代わりに背負って下さい。
しかし、そのイエス様は私たちにマタイ11:28節「
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」」愛の主のイエスは私たちの
人生の重荷を背負わせてくださるお方であります。
キリスト教の信仰は主イエスに委ねること、お願いすることであります。イザヤ53:5-6節「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。」
主は罪人と共に死なれました。マルコ15:27節「 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。」それは完全にご自身が罪人の
身分にまで低くなることであります。
罪のないお方が罪人と共に死んで葬られました。
四旬節の期間だけではなく、イエスの十字架の死を黙想し、主イエスの痛みを共に黙想する時間になりましょう。