神様が導く道
詩編25:1-5
ダビデの祈りは試練の中でも主を仰ぎ見るようになりました。1節、15節、20節、21節を見て下さい。
1節「わたしの魂はあなたを仰ぎ望み」、15節「わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。」、20節「御もとに身を寄せます。わたしの魂を守り、わたしを助け出し恥を受けることのないようにしてください。」、21節「あなたに望みをおき、無垢でまっすぐならそのことがわたしを守ってくれるでしょう。」詩編25編は24時間主を仰ぎ望む信仰を言われているダビデの祈りであります。
特に主を仰ぎ見るという表現が良く出てくるのであります。試練の中で信仰者は救われる方法であります。
マタイ27:46節「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」、イエス様もこのような経験をされました。ヨブ記1:20-21節「ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
私たちにこのような試練が来るのです。祈っても神様がおられないように感じる場合もあります。その時に必要されるのは主を仰ぎ見ることであります。
試練を受ける時に悔い改めることであります。
7節「わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず慈しみ深く、御恵みのために主よ、わたしを御心に留めてください。」、11節「主よ、あなたの御名のために罪深いわたしをお赦しください。」そして、試練の中でも従順であることであります。4節「主よ、あなたの道をわたしに示しあなたに従う道を教えてください。」、8節「主は恵み深く正しくいまし罪人に道を示してくださいます。」
試練の中でも主の導きに従うことであります。
信仰生活の中で大事なことは従うことであります。
神様の導きに従う道を歩みましょう。