賜物は神様の贈り物
コリント(第一) 12:4-11
1節「兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。」その当時のコリント教会は賜物の働きが豊富な教会でありました。
しかし、そのような教会でありながら、異端や偽り
教師などが侵入して教会が混乱を起こしたのであります。だからパウロ1節で賜物を正しく知ってほしいことを冒頭に語っています。
3節「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」キリストを信じる
者には聖霊がおられるです。
その証拠として主イエスを主と告白するようになります。
イエスを見てもなく、聞いてもないのに信じることが
出来ますか?しかし、聖書を読んでもイエスを信じるようになりますか?さて、私たちが主イエスを信じるように
なったのは私たちの中でおられる聖霊の働きでした。
聖霊は私たちが福音を聞き、聖書を読み、そのような
ことを通して聖霊は私たちに主イエスを信じるように導いてくださるお方であります。
4-6節「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それを
お与えになるのは同じ主です。 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。」
賜物は仕えることであると言われています。賜物は力で
あると思うから問題が出て来るのであります。
賜物は主イエスを正しく信じるように必要であります。
教会に徳を立てるためであります。礼拝、聖書勉強、祈り会なども賜物の働きであります。
8節「ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、」
賜物は神様の贈りものであります。ですから与えられた賜物を主のために仕える信仰者になりましょう。