ダビデの十字架預言
詩編22:1-6
本文はBC1,000年前にダビデがその子アブサロムを逃れて行く時の詩であると言われる人もいます。
しかし、驚くべきことは本文の内容を見るとイエスの十字架の上で成就されたことが書かれていて、そもそも十字架の預言であると言う人もいます。
2節を見ますとダビデは叫んでいます。「わたしの神よ、わたしの神よなぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」
ダビデは神様が自分を見捨てになったと叫んでいるぐらい
何かの問題で苦しんでいることは事実であります。
さて、いくら祈っても神様からの応答はありません。
3節「わたしの神よ昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。」
ダビデは昼も夜も祈り求めても神様は沈黙している
と告白しています。7節「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。」
そのような厳しい状況から4節では主を賛美しています。
4節「だがあなたは、聖所にいましイスラエルの賛美を受ける方。」、主は今は沈黙しているように見えるが確かに聖所におられるお方であることは間違いないから賛美する。
そして、23節と27節にも主を賛美するようになっています。
23節「主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。」、27節「貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。」
このような聖書をどのように理解していくのですか?
ダビデの状況が賛美する時なのか?嘆き叫ぶ状況なのか?
さて、ダビデが語る2節はマタイ27:46節と同じです。
マタイ27:46節「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
このよゆにダビデが叫んで祈ることは十字架の上の主イエスの叫んで祈りと同じであることだ。だからダビデのイエスの十字架の預言である根拠がここにあります。