7-11節でペトロの弁証が終わると引き続きヤコブの弁証が始まりました。12-13節「すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。」 割礼の問題で教会はやかましくなりましたが、ペトロの弁証を聞いた聴衆たちは冷静になりました。今日もパリサイ派の信仰者がいるのです。神様のことを人間が制限してしまうようなことが多くあります。その当時の教会に影響力のあるヤコブの弁証を大変重要な意味がありました。
パウロはヤコブのことをカラテヤ2:9節で「また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。」 14-15節「神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。」
ヤコブは2つのことを語っています。①神様は異邦人を呼んだことです。ユダヤ人にとって、異邦人は救いのない人であり、割礼もないと思いました。しかし、そのようなところに神様の働きが与えれて、奇跡が起こりました。神様はすでに使徒10章に書かれていますが、カイサリアに住んでいるコルネリウスの家庭を救い、そのことを通して神様は異邦人も救おうとする
ことが明らかにされたのです。②神様のなさることは計画もなく自分勝手に行うことではなく、旧約の預言者たちを通して伝えられたことを行うことであります。ペトロもパウロもバルナバも彼らの経験は個人的でありましたが、それは預言者の預言通りに行って、関係のない出来ことは聖書は一つもありません。16-18節「『「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、/こう言われる。』
この聖句はアモス9:11-12節の引用の聖句であります。