イエス我がために
詩篇34ː1-8
新年を迎えられて二週目となります。この詩篇はダビデが聖霊充満な時に書かれたと学者たちが言われています。
しかし、表題を見ますと「ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに」と記されていますから
そのような状況の中で聖霊充満になれるのか?という疑問
があります。つまり現実はそのような厳しい状況でありましたが、ダビデはその状況から救われたことに神様に感謝
しています。その根拠は1節を見れば分かります。
2節「どのようなときも、わたしは主をたたえわたしの口は絶えることなく賛美を歌う。」
なぜ、ダビデはこのように賛美を歌うのか?5節に答えが
記されています。「わたしは主に求め、主は答えて くださった。脅かすものから常に救い出してくださった。」おそらくダビデのように自分が求めた祈りを神様が
答えて下さるならば、何と素晴らしいでしょうか?
求めた祈りに答えてくださると言うことも大切ですが、
神様が生きておられうことの経験は何と素晴らしいでしょうか?やはり神様は生きておられるお方です。
主は必ず祈りに答えて下さるお方であることを信じることが出来るようになります。このような経験が積み重ねることにより確信というものが生じるのです。
このような確信、信仰が生じることにより信仰が成長して
いくのです。9節「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。」
ダビデは自分が求めた祈りが答えられた経験により人々に
主に身を寄せるように勧めています。
9節にも「味わい、主の恵み深さ」と表現はまさにダビデの経験をよく表現しているのです。私たちも主の恵み深さを体験すれば、人々に証しすることが出来ます。
12節「子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを 教えよう。」祈りに対する主から答えの経験があれば、
誰でも主を証しすることが出来るようになります。
このような経験の今年は多く与えられるように切に願います。今年こそ主に求めて行く年になりましょう。