四旬節第5週
序論 ルカ福音書15:8~10のたとえ話の說明
女の人は神樣のことお金は人間あかりはキリスト
なぜ、人間をお金にたとえているのか。 お金には特徵が三つあります。1.お金には世界共通で、必ず、人間の肖像畵が描かれています。キリスト時代のコインにも当時 イスラエルを支配していたローマ皇帝の肖像が刻印されていました。私たちの心にも肖像畵が描かれています。それは神樣です。神樣は人間に「永遠を思う思い」を与えらたのです。人間にだけ宗敎心があり、神樣を思う思いがあります。(眞の神の說明をします)2.2番目の特徵はお金は人間が握ったとき価値を見いだします。言い換えればお金は人間に握られたとき目的を見いだします。人間がお金を造ったからです。私たちを造ったのは誰で しょうか。最初に言いましたように私たちを造られたのは神樣です。神樣の手に握られたとき私たちは生きる目的を見いだします。何のために生きているのかがわかるのです。
3.お金の3番目の特徵は古いお金でも、新札でも価値は同じです。年を取っていても,若くても価値は同じです。私たちは勝手に自分で自分の価値を決めつけてしまいます。私は歲を取った。若いときのようには体も頭も動かない。私には才能もない。お金もない。しかし、聖書は「わたしの目にはあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と語り ます。「あなたを愛している」と語りかけています。愛には少なくても三つの特徵があります。①愛は与えるものです。
本当の愛は自分のためでなく相手に与えるものです。イエスキリストはあなたのために,命を与えるためにこの世に來られ、あなたの罪のために十字架にかかってくださったのです。
②愛は相手の立場に立つことが出來ます。なぜ、神のイエスキリストは人間のかたちをとって,この地上に誕生したのでしょうか。それは私たちの立場に立つためでした。③本当の愛は人を新しい人に変えることが出來ます。本物の愛に触れたとき人は生まれ変わります。