2020.06.14 「感動が消え去り」サムエル下 6:12ー15

武庫川教会 0 314

 

サムエル下6:12-15

 感動が消え去る

 

14節「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。」ここで、「力のかぎり」の原語では力を尽くしてとなっています。つまり、ダビデ王は人の顔を見るのではなく、すなおに子どものように踊りました。私たちはこのように神様のことで嬉しくて踊ったことが

ありますか?15節「ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。」、即ちこれは、現在的に考えますと毎週の礼拝を

喜びと感謝の中で捧げているのか?

一週間の疲れや心が固くなっている状況から解放され、

神様のみを褒めたたえ、讃美を捧げることです。

礼拝を通して、この喜びの味を経験した方はどこに行かれても問題や試練を乗り越えることが出来ます。

本日の聖書から教えられることはまず、感嘆の声を回復する。イスラエルの民にとっては神様の臨在の象徴です。

長い間に神の契約箱は放置され、神の神殿には置かれていなかったのです。当然、多くの人々は神の契約箱がダビデの城に運ばれることを見て、踊り、喜びをもって讃美を

捧げている姿でした。しかし、ミカルはどうでしょうか

16節「主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。」ここで「窓からこれを見下ろしていた」ということは人々から隔離していることが明らかにされます。教会でも同じ礼拝時間に、同じ状況なのに隔離されている状態で礼拝を受ける人には喜びや感動、感嘆の体験がないと思います。私たちは毎週の礼拝にダビデのようにすなおに心の扉を開けて、礼拝を受けましょう。ミカルはその結果、どうなりましたか?16節の最後のところに「心の内にさげすんだ」となっています。私たちには踊りたい気持ちとさげすむ気持ちのどちらがが多いのでしょうか?

詩編8::1節「主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます」このように自然を見て感動したことがどのぐらいあったのしょうか?

感動が消えない礼拝、感動が消えない自分になりましょう 

 

  会 長  梁栄友 牧師          

 名誉 長老  林秉魯 朱瞮中 

 長    老  姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元 

Comments

番号 タイトル 投稿者
262 2020.11.01. 「どこにいるのか? 」 創世記 3:8-10 武庫川教会 2020.11.02
261 2020.10.25. 「聖書的な祝福 」 詩編 1:1-6 武庫川教会 2020.11.02
260 2020.10.18 「生ける望み 」 ペトロ第一手紙1:3-5 武庫川教会 2020.11.02
259 2020.10.11 「主と共に歩む信仰 」 詩編 37:12-13 武庫川教会 2020.11.02
258 2020.10.04 「祈りに答える神様」 詩編 41:1-13 武庫川教会 2020.10.05
257 2020.09.27 「主を証しする信仰」 詩編 33:1-11 武庫川教会 2020.10.05
256 2020.09.20 「人間堕落は誘惑から」 創世記 3:5-7 武庫川教会 2020.10.05
255 2020.09.13 「御もとに身を寄せる」 詩編 31:1-11 武庫川教会 2020.09.14
254 2020.09.06 「助けて下さる神」 詩編 30:1-11 武庫川教会 2020.09.14
253 2020.08.30 「エデンの創造」 創世記 2:8-17 武庫川教会 2020.09.14
252 2020.08.23 「ご自分の栄光をあらわす」詩編 29:1-11 武庫川教会 2020.08.26
251 2020.08.16 「人を創造する」創世記 2:4-7 武庫川教会 2020.08.26
250 2020.08.09 「民族の大荒れ」ヨナ書 1:11-17 武庫川教会 2020.08.10
249 2020.08.02 「絶望の中でも」 詩編35:1-9 武庫川教会 2020.08.10
248 2020.07.26 「神様に役に立つ器」 テモテ(二)2:20-21 武庫川教会 2020.07.27