2020.05.17. 「カインの過ち」 創世記 4:5-10

武庫川教会 0 296

カインの過ち

創世記4:5-10

 

2-4節でカインとアベルの捧げものを通して、神様に礼拝する姿勢や心構えについて学びました。

神様はささげものの種類を求めておられるかたではないことが分かりました。カインは農業しているから、野菜などをささげたのに、神様は目を留めなかったのですか。

と問う人もいます。ここで「目を留める」という言葉はヘブライ語では「シャーア」です。

即ち、注目する、見つめるという意味であります。

この世の中でどのような真理や哲学が人間の罪を解決出来る、責任を持つことがの出来る場所がありましょうか。

多くの宗教が存在していますが、神ご自身が、自ら人間となり、十字架を背負い、人間のために死なれて、三日後に復活されたと教えている宗教がありますか。

5節「カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。」「目を留められなかった」という言葉の言語は「ローシャーア」であります。

神様はささげものより、ささげる人の態度、心の姿勢、心構えを見ておられるお方です、そのひとの信仰を見ておられるお方です。5節で教えられる言葉は、「カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。」カインは自分のささげたものが目を留められなかったことを知りました。

古代ではささげる方法はささげものを祭壇に置き、祈りをささげ、天から火が下り、そのささげものを燃やし、それを神の答えであると信じました。(レビ記9:24、列王上18:38)このように考えますとエベルの祭壇に火が下り、ささげものが燃やされ、カインのささげものには火が下りて来なかったでしょう。

ここで「拒絶感」という言葉が出てきます。人間が持っている心の傷は誰から拒絶された時であります。

たとえば、妊娠した親が堕胎しようとして失敗して生まれた子供は心理学的に、その傷が残っているというのです。そして成長する時、親から受けた傷があります。

このような傷を受けて育てられた人は、結婚しても

配偶者が自分を拒絶していると思うことであります。

カインのような過ちのにように信仰者になりましょう。 

 

  会 長  梁栄友 牧師

 名誉 長老  林秉魯 朱瞮中 

 長    老  姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元 

Comments