2020.03.29. 「主が与えてくださる平安」 ヨハネ 14:25-31

武庫川教会 0 281

四旬節第五週


ヨハネ14:25-31

主が与えてくださる平安

 

 イエス様が十字架にかかる前日の夜、弟子たちと最後の食事をしていた際、イエス様は弟子たちに、「私は去っていく」という話をされます。その話を聞いた弟子たちは、心を騒がせました。つまり、不安と恐れを感じるようになったのです。なぜ、弟子たちは、不安と恐れを感じるようになったのでしょうか。 イエス様が弟子たちに語った「私は去っていく」という言葉は、イエス様の十字架での死を意味する言葉です。弟子たちにとってみれば、イエス様が十字架で死ぬことは、想像すらできないことでした。なぜなら、弟子たちが思っていたメシアは、イスラエルのために国を立て直し、ローマの支配から解放してくれる人でなければならなかったからです。

ですから、イエス様が「十字架につけられる」ことは、弟子たちにとっては、ありえないことでした。弟子たちは、イエス様の「私は去っていく」という話を聞き、不安と恐れを抱くようになりました。なぜなら、自分たちが願っていたことでもなく、望んでいたことでもないことが起きようとしていたからです。その不安と恐れは、自分たちの望みと願いを第一に考えることで生じるものでした。

しかし、イエス様は違っていました。イエス様も、ゲッセマネで「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」と祈られました。つまり、イエス様も、御自身が望んでいないことが起きようとすることに対する、恐れを感じていました。しかし、イエス様は、すぐに、「私の願い通りではなく、御心のままに」と祈られました。自分の願い、望みよりも、神様の御心が実現することを第一に考えたのです。

今日の本文の27節には、不安と恐れを抱いている弟子たちに対してイエス様は、「私の平安を与える」と語っています。イエス様が与えてくださる「私の平安」。それは、ゲッセマネでのイエス様の祈りに表されているように、自分の願いや望みを第一に求めるのではなく、神様の御心が実現することを第一に求めることで与えられる平安です。私たちも、イエス様から与えられた、その「イエス様の平安」の内に生きていきましょう。

 

堂  会 長  梁栄友 牧師          

 名誉 長老  林秉魯 朱瞮中 

 

 長    老  姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元

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