2019.12.29 「希望を持つ人」 詩編 146:1- 5

武庫川教会 0 294

詩編146:1-5

希望を持つ人

 

2019年度の最終の主日を迎えることとなりました。

いよいよ来週からは2020年が始まります。2019年は皆

様によってどんな年となりましたか?

キリスト教は希望の宗教であると言われています。

この希望があるから多くの試練や迫害があっても耐え

られます。詩編146-150編は「ハレルヤ」と言

う言葉から始め、「ハレルヤ」という言葉で終わりま

す。146編の詩人は「神様に希望を置く人」であること

は文書を通してよくわかリます。

3節「君侯に依り頼んではならない。人間には救う力

はない。」、その理由を4節に記しています。

4節「 霊が人間を去れば人間は自分の属する土に

帰りその日、彼の思いも滅びる。」

ここで「君侯」は権力者を指しています。つまり、お

金、権力などはより頼むことが出来ないと言うことで

あります。詩編121:1-2節「【都に上る歌。】

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはど

こから来るのか。 わたしの助けは来る天地を造られた

主のもとから。」

私たち人間を真に助けて下さる方はやはり創造の神、

全人類を罪から救ってくださる神様であると言う

ことであります。

5節「 いかに幸いなことかヤコブの神を助けと頼み

主なるその神を待ち望む人」、哲学者たちは人間は考

える存在、あるいは道具を制作する存在、希望を持つ

存在であると言われる。

哲学者であるデカルトは「我思う故、我あり」と言う

有名な言葉を残しました。動物では実現できないです

ね。動物には希望も信仰も存在しません。しかし、人

間には希望や信仰があります。なぜ、人間は神様に希

望を置くのですか。6節「天地を造り海とその中にあ

るすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを

守られる主は」天地を創造された神様に来年も希望を

置き、その神様により頼んで行く新年となりたいです

 

堂 会 長 梁栄友 牧師

名誉 長老 林秉魯 朱瞮中

長 老 姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元

Comments