2019.09.08 「わたしたちを誘惑に遭わせず」 マタイ 6:13

武庫川教会 0 280

 わたしたちを誘惑に遭わせず

マタイ6:13


ここで「試みに」とはギリシャ語では「ペイラスモス」、新約には動詞や名詞形で約60回書かれています。そして、誘惑や試練とも訳されます。

誘惑の意味は「内的と外的」によりその意味の違いはあります。決して神様は道徳的に誘惑する方ではありません。

ヤコブはこの手紙を通して信仰者が直面している外的な苦難や内的誘惑をもって罪に致させるために与えるもので

あるように理解してはいけないことであります。

ヤコブ1:13節「誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。」、神様は人間が誘惑されることを

許しますが、決して誘惑に陥るようにはしないことです。

ヤコブ1:14-15節「むしろ、人はそれぞれ、

自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」そして、外的、客観的な試練とテストは神様の御心で、忍耐を生み出す、ペトロ第一4:12節「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。」

創世記22:1節「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、」、このように神様は人間を試みされることはしますが、決して人間に罪を犯すようなことは

しません。旧約聖書のヨブ記を見ますとサタンは誘惑を通して人間が罪による堕落することを願っているのです。

「誘惑」「試練」を通して神様は霊的な成長、即ち成熟した信仰者となるように願っています。

ヤコブ1:2-3節「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。

信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。」、神様はさらに人間に「誘惑」「試練」を通して神様の摂理や御計画を悟らせるようにします。

「誘惑」「試練」は私たちの信仰の検証手段でもあります。サタンの誘惑に遭わせられないように願いましょう。

 

堂  会 長  梁栄友 牧師          

 名誉 長老  林秉魯 朱瞮中 

 

 長    老  姜遠基 林英宰 梁昌熙 朱京中 趙舜元

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