2015.12.27 「行いに応じて報いる」 (黙示録22:10-16)

武庫川教会 0 325

2015年度の最終の主日礼拝となりました。ことわざには「光陰矢の如し」と言う言葉があります。今年もあっと言う間に終わろうとしいます。それぞれの今年の人生の清算はされましたか。マタイ25:27節「それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。」今年はどうでしょうか。自分自信の信仰の利息は増えているでしょうか。
本日の本文の12節「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」、主は私たちの行いに応じるためにすぐに来ると語っています。ここで「来る」と言う言葉は「来る、行く、現れる」と言う意味を持っています。
主イエスはメシヤとして来られました。自分の民を救うために来られたのです。そして、天国の福音を伝えるためにも来られました。そして罪人を呼び集め悔い改めさせて、神の民と変えるために来られました。
そして、もう一つの意味は神の国の到来と審判のために来られました。「すぐに来る」と言う単語は22章の中でも3回書かれています。「それぞれ」と言う言葉は全体になる一人、一人を現しています。全体の中の一人、一人に報うことであります。12節で「報い」と言う言葉は「賃金、報い、賞」と言う意味です。即ち、対価を支払う、賞や罰が与えることの意味であります。聖書で言われている報いは何でしょうか。神様の裁きによる賞か、罰か、どちらかでありましょう。主は何回も「すぐに来る」とおしゃっている理由は何でしょうか。それはとっても重要なことであるからであります。大切な約束でありますから、何度も繰り返していることはとっても大切であることは間違いありません。私たちはその日を待ち望みながら信仰生活しています。間違いがなく主の審判が到来します。心を引き締めて2016年を準備しましょう。
今年出来なかったことを反省しましょう。 

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