新しい視野
ローマ14:7-12
ローマ14:1節「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。」、パウロはローマ14-15章で勧められているのは、信仰が強い人が弱い人を受け入れることです。そして、ローマ14:13節「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。」、私たちが生きながら日常生活の中で
細かいことを7節にも書かれています。
7-8節「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。
なぜ、パウロは急に話を変えるでしょうか?
やはり対人関係においても7-8節のようなことが必要であるから語っているのです。7-8節「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」対人関係においても十字架の信仰は必要であると言うことです。ギリシャ語で「アディアポラ」という単語がありますが、訳しますと「たいしたことない」と言う意味から来ている言葉です。つまり、神様が命じてもないし、禁じてもない行動を指しています。
即ち、実践しても、実践できなく、それはたいしたことないよ。と言うであります。2節がそれを意味しています。
2節「何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。」
これに対して3節「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。」パウロははっきりと根拠を語っています。それは
{神はこのような人をも受け入れられたから」であります