配慮する心
ローマ14:13ー23
ローマ14:5-6節「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。」、この箇所は信仰生活の指針書でも言えるでしょう。テモテ第一4:3-4節「結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。」
ローマ14:6節で「主のために」という前提が存在するまではキリストを信じる人々には自由人であるということです。ヨハネ8:32節「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」、つまり、キリストを信じる人々に主にあって一つであるということです。
本日の13節「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。」
ここで「つまずきとなるものや、妨げとなるもの」は即ち、障害物を言われています。ですから互いに裁き合うことはしてはならないのです。なぜ、パウロはこのように語っているでしょうか。当時のローマ教会の中には異邦人とユダヤ人の信徒がいました。しかし、異邦人の信徒は何を食べても問題はありませんが、ユダヤ人信徒はキリスト者になってもユダヤ教の習慣が残っていたのです。
15-16節「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです。ですから、あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。」、お互いに配慮する心を持つ信仰者。