救いの兜
エフェソ6:17
本文には「兜」と言う言葉が書かれています。ここで言われている兜は現代的な言葉で直しますと「ヘルメツト」を言います。自伝車やオートバイを乗る人には必ず、「ヘルメツト」を着用しなければ、なりません。特に軍人にとっても「ヘルメツト」は大切でしょう。
申命記10:16節「心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。」、心の割礼はどういう意味でしょうか?,申命記30:6節「あなたの神、主はあなたとあなたの子孫の心に割礼を施し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主を愛して命を得ることができるようにしてくださる。」、聖書は人間が自分の心を治めることに対して強調しています。箴言4:23節「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」
新約聖書ヨハネ13:2節「夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。」イスカリオテのユダは自分の心を奪われました。ですから、私たちが霊的な兜をかぶらなければならない理由はサタンの攻撃は私たちの心を狙い、攻撃しますので、それに打ち勝つためであります。
今日も私たちの心、思い、価値観を奪われることが一番怖いことであります。さて、本文で言われている救いの兜の意味は、1.救いの確信で武将して生きることです。
ローマ8:35節「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」そして、ローマ8:31節「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」、このような確信を持って生きてきたパウロでした。コリント第二4:8-9節「
わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」ローマ8章で救いの感激、救いの確信があれば、パウロのように信仰の告白が出来ると
思います。救いの兜を持つ信仰者になりましょう。