神様に喜ばれる霊的な礼拝
ローマ12:1-2
神様を信仰により体験出来る時間は礼拝時間であります。私たちが日頃、神様を信じる信仰告白を通して
神様を知るようになるのです。1節「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」パウロはここで「自分の体を生けるいけにえとして献げなさい」と勧められています。
そして、「聖なる」ことが条件であります。この世の物と
は区別されるべきであると言うことです。
さて、パウロが言われている霊的な礼拝の要素は何でしょうか?1.私たちの焦点が神様に合わられることであります。 例えば、私たちの状況に合わせるために、礼拝の
時間を変えることも言えるでしょう。私たちがどこの教会で礼拝を捧げるのは問題ではありません。この世に存在している教会は神様からそれぞれ使命が与えられているのです。しかし、なぜ、私たちが毎週の礼拝を捧げなければ
なりませんか?教会に与えられている使命を悟り、それらを行うためであります。その使命は毎年神様からいただく目標や標語でありましょう。御言葉を通して、毎年の使命を与えて下さるのです。多くの教会が存在していても世に希望を与える教会は霊的な礼拝を捧げる教会であります。
2.霊的な礼拝は「聖なる生けるいけにえ」となる時間です。生けるいけにえになることはそこには痛みが伴います。死んでいる動物は痛みを感じません。
ですから「生けるいけにえ」になるために必要な条件は
慕い求める信仰、つまり「渇望」とも言えるでしょう。
時計の仕事は時間を合わせるのではなく、続けて回るのが仕事です。時間を合わせるのは時計の持ち主です。
時計が続けて回ることと同じく礼拝は私たちが神様の前に
ひれ伏して礼拝者として行くことです。
「クロノス」は過去から未来へ向かって一定の速度、一定の方向で流れる連続的な時間をあらわし、「カイロス」は瞬間、つまり人間の主権的な時間、誰でも持っている24時間でありましょう。