火の矢と信仰の盾
エフェソ6:16
本文の16節「なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。」この文書で後の部分のみを見ますと不安でありましょう。しかし、神様からいただいた「信仰を盾」を持っていると「悪い者の放つ火の矢」の攻撃を耐えられます。
ガラテヤ5:22-23節「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」
今日のように未来が不透明で、未来が暗くなっている
時代こそ信仰を持って行かなければ、私たちの人生は
だんだん暗い人生になるのです。
なぜ、パウロは信仰の盾であると言われていますか?
1.悪い者の放つ火の矢の攻撃があることを認識する。マティン・ロイドジョンスン牧師は「信仰の盾」と関連して,「真理の帯」,「正義の胸当て」,「平和の福音の履物」,と言う3つのことが四番めの
「信仰の盾」は根本的に違う点があると言われています。この牧師はイギリス人です。即ち、3つの単語の前にはHaveとなっていますが「信仰の盾」にはTakeと言う単語が書かれています。その単語の違いは何でしょうか?つまり、「Take」と言う単語は自分が
必要とする時に使用します。ローマの映画を見ますと
その兵士たちは休憩の時間でも帯や胸当ては自分の手から離しません。しかし、盾は武具は相手が攻撃する
時に使えるものです。これらのことを霊的に考えますと「信仰の盾」を思いから、面倒だからといって、
持っていなければ、信仰の油断であると言うことです。ペトロ第一5:8節「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」、日常生活の中で動く信仰が必要とされるのです。ヨハネ11:25-26節「イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」