こうばしい捧げもの
民数記28:26-31
2018年度の初穂刈り入れ節を迎えました。神様の豊かな祝福が教会と各家庭に注がれますように祈ります。
初穂刈り入れ節については旧約聖書の出エジプト23:16節、あるいは新約聖書にはコリント第一16:8、使徒2:1にも書かれています。旧約における主の例祭の預言的意味」において、これまでに、週ごとの「安息日」、そして春の祭りである「過越の祭り」、「種の入らないパンの祭り」、「七週の祭り」、そして秋の最初の祭りである「ラッパの祭り」(ラッパを吹き鳴らす祭り)を取り上げました。今回は、もう一度春の祭りに戻って、「初穂の祭り」を取り上げます。まずはそのことが記されている聖書箇所を見てみましょう。レビ記23章10~11節、14節、申命記26章1~10節でも記されています。
初穂や初物を主にささげることは神の民が守られる恵みの手段だったのですが、その目的のためだけに「初穂の祭り」があるのではありません。最初に記したように、主の例祭には、神の不変のご計画(マスタープラン)が啓示されています。その視点から「過越の祭り」の後に来る最初の安息日の翌日にもたれる「初穂の祭り」とその預言的意味について学びたいと思います。
初穂刈り入れ節は初穂や初物を主にささげることです。
パウロはその意味をコリント第一15:20節「 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」
初穂の収穫を保証するのが「希望」であります。
しかし、初穂を捧げる意味は「収穫まで出来るようになっていることは神様の導きであることを認めるのがその意味でありましょう。これからも導いてくださること信じるのも信仰であります。レビ記23:10節「イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。わたしが与える土地に入って穀物を収穫したならば、あなたたちは初穂を祭司のもとに携えなさい。」ですから私たちが義務による捧げることではなく、喜びを持って捧げることが香ばしい捧げものになるのです。