エフェソ(엡)6:15
福音の履物
最近はエフェソの手紙を通して「神の武具を身に着けなさい。」と聖書箇所を通して学んでいます。
エフェソ6:11節「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」
14節では「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、」ここで「真理の帯」と「正義の胸当て」を着けるようにと教えられています。さて、本日は「福音の履物」について語っています。履物は外に出かける時に必要とされます。室内では必要ではありません。
履物を履くことは「キリスト者の行動」を意味しています。ある神学者によれば、私は霊的に戦う準備が出来ているか?」この質問に対して準備が出来ています。ということの意味として「履物を履く」と意味がエフェソ6:15節ある言っています。霊的な意味として履物を履くことは
機動力、弾力性を指しているということです。
信仰生活は消極的、受動態、防御的な姿勢ではなく、「履物を履く」と言うことは積極的、能動態的な態度が必要で
あるということです。現代の教会が霊的な教会であるかを知る方法は礼拝を見れば分かるようになります。
今日の教会がこのように無気力状態になっていることは
霊的な礼拝がないからです。礼拝に対する期待感もない
讃美の力もありません。信徒の活気もないのです。
イザヤ52:7節「 いかに美しいことか山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え救いを告げあなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。」、ここで「良い知らせを伝える者の足」と言う言葉です。福音の履物を履き、歩き回った、その足の跡形、彼らの業績により今の教会、福音伝道が広がるようになりました。韓国でも日本でも多くの
宣教師たちが福音の履物を履き、来られて福音の跡型を残した結果であります。
ですから私たちも福音の履物を履き、地の果てまで福音を知らせる使命を果たしましょう。